とめよう戦争への道!百万人署名運動

署名運動をとおして、改憲・戦争への道を許さない闘いを全国的に広げていきます。

画像埼玉から報告します。
 5月10日、浦和での公聴会に抗議行動と申し入れを行いました。傍聴に入った人や浦和駅西口でリレートークを行った人を含め総勢25人でした。
公聴会の会場についたときに、ちょうど、国会議員を乗せたバスがホテル前に到着、こちらが抗議行動を始めると、走るように会場ホテルの中に駆け込んでゆきました。会場まえで「改憲手続き法案、強行採決反対!」の横断幕を掲げて、採決を前提にしたアリバイ公聴会を弾劾し、強行採決反対を訴えました。中に傍聴に入った人の話では、中までよく聞こえたとのことです。
 
 そのうえで、とめよう戦争!埼玉県連絡会として、参議院憲法調査特別委員会へ抗議の申し入れをホテル内の会場で行いました。
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 その後、再びホテル前から抗議のアピールとシュプレヒコール。一昨日、浦和で公聴会とメールで知って、ホテルに駆けつけた人もいましたが、政党の紹介がないと傍聴に入れないと知って、また会場前を制圧する私服刑事の多さに、「公聴会って、こんなものだったのか。何がパブリックの声を聞くだ!公聴会の姿を知っただけでも来た意味があった」と怒っていました。
 抗議行動を終わって浦和駅西口で街頭宣伝をしていると、テレビニュースで「11日採決」と流れ、いったい今日の公聴会はなんだったのか、と怒りが増す一方でした。明日の国会での強行採決は、民主党も賛成してのことと知って、なおのこと怒り心頭です。明日の国会闘争をがんばって、19日の全国集会にかけつけましょう。

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画像 福岡から報告します。
 5月7日、改憲投票(国民投票)法案の福岡公聴会がホテル日航福岡で行われました。百万人署名運動福岡県連絡会が緊急闘争を呼びかけ、約60人の市民、労働者、学生が結集しました。そして、まやかしの公聴会を徹底的に弾劾し、廃案を訴えて闘いました。
 公聴会の開催が発表されたのが先月26日。「憲法を変える」という重大な問題であるにもかかわらず、ほとんどの市民が公聴会開催すら知らされていません。しかも市民団体や労働組合が取り組む時間的余裕がない大型連休の直後の開催です。参院での強行採決に踏み切るためのまやかしの公聴会以外の何ものでもありません。

 早朝からホテル日航前に「改憲に一直線法案=国民投票法案を廃案に」の大段幕を持って登場。危機感を持った市民、労働者が次々に集まりました。11時からは近くの公園で集会が同時並行で行われ、代表世話人の郡島恒昭さん、9条改憲阻止の会、小郡市民の会が今日の公聴会を弾劾して闘う決意を述べました。
画像 その後、集会に参加した人びとがホテル日航前の闘いに合流し、「まやかしの公聴会弾劾! 9条改憲を許さないぞ!」と怒りのシュプレヒコールを繰り返したたきつけました。12時20分、百万人署名運動福岡県連絡会が参議院憲法調査特別委員会に対する申し入れを行いました。代表世話人の郡島さんが申し入れ文を読み上げ、「時間をかけて審議を行い、採決を強行しないこと。憲法改悪のための国民投票法案を廃案にすること」を要求しました。その後、参加者が次々にマイクを握り、市民を無視した公聴会への怒り、改憲と戦争の道を許さないとの思いなどを訴えました。
 他方、公聴会では、反対派としての公述人を苦渋の選択で引き受けた石村善治さんは、「労組・市民団体などへの規制条項が多く問題である」「最低投票率の定めがないと、有権者の2割の賛成で憲法が変えられかねない」と国民投票法案を強く批判しました。
 公聴会の開始前も終了後も、参議院特別委員は、警察権力の警備の中、誰にも会わないように裏口から出入りするなど、市民の抗議の声を一切聞こうとしない姿! これは今回の公聴会が参院での強行採決のためのまやかしであることを自己暴露するものです。何よりも改憲投票法案が改憲派による、改憲派のための、改憲派だけを利するアンフェァーな法案であることの証拠に他なりません。
 安倍政権は11日にも改憲投票法案を強行採決する構えです。改憲投票法案のあまりに反動的な正体が暴露される前に強行成立させようというのです。絶対に許せません。大衆的な怒りで国会を包囲し、最後まで廃案を目指して闘いぬきましょう。
 公聴会の終了後、再び近くの公園で総括集会。参加者たちは市民を欺き、改憲へ突き進む安倍政権に怒りを表明し、5月9日に同じ時間、会場で行われる地方教育行政法の公聴会の弾劾闘争に再結集することを訴えました。5・9の公聴会は、市民にはまったく知らせず、改憲派だけが公述するとんでもない「秘密」公聴会です。百万人署名運動福岡県連絡会は教育関連4法の改悪をはばむために連日の緊急闘争に決起します。

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憲法記念日の今日(5月3日)、全国で「憲法9条 守る?変える?シール投票」 が行われました。百万人署名運動も東京では新宿駅(東南口)と三鷹駅(南口)で行いました。
→http://kyujyot.exblog.jp/
 新宿駅では2時間で、20歳代前後の若者たちを中心に約1300人の人がシール投票に参加し、結果は、9条を「守る」が987人、「変える」が227人、「わからない」が72人でした。投票参加者の77%が9条を変えてはいけないと意思表示しました。

 17~18歳くらいのかわいい洋服を着た2人の女の子に「憲法9条が変えられようとしていること知ってる?」と声をかけると、「えー、わかんなーい」とのこと。「軍隊を持ってはいけない」を「自衛軍を持ってよい」となると言っても、「…?」。「今までは9条があったから、自衛隊はイラクで銃撃戦をやれなかったけど、9条が変えられたら銃撃戦をやれるようになる。戦争をやる軍隊になるのよ」というと、「それはダメ!」と、シールを取ってボードに向かった。オー、しっかりしてるー!と、茶髪の女の子たちを見送ったのでした。
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 無関心そうに通り過ぎていく人もたくさんいるけど、黄色の「憲法9条 守る?変える?」の大きな文字は、憲法記念日の今日、新宿駅東南口の通ったほとんどの人の目にとまったことだろう。そういう回数がもっともっと多くなることが必要だなあと思いました。「9条を変えるな!」署名活動を全国でガンバロウ!
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4月27日の「朝日新聞」や5月1日の「しんぶん赤旗」で、自民党が党内向けの改憲日程表を作成し、配布していることが明らかになりました。それによれば、「2011年夏に改憲を発議、秋に国民投票を実施」となっています。また、改憲投票法の成立で夏に「憲法審査会を設置、改憲案の骨子を作成」とも書かれています。まさに9条改憲へまっしぐら!絶対に許せません。赤旗の記事→http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-01/2007050101_01_0.html

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そうした中で5月19日(土)、百万人署名運動は全国集会&デモを開催します。どなたでも参加できます。ぜひお集まり下さい。

「いまこそ改憲阻止へ!5・19全国集会」
とき◆5月19日(土)午後1時半~4時15分。4時半、デモ出発(日比谷公園まで)
ところ◆東京・社会文化会館(千代田区永田町1-8-1 地下鉄「永田町」駅下車)
主催◆とめよう戦争への道!百万人署名運動(tel.fax.03-5211-5415)
http://million.at.webry.info/ mail:million@mqc.biglobe.ne.jp
講演◆梅田正己さん(高文研代表)「朝鮮有事と9条改憲」
国会報告◆近藤正道さん(参院憲法調査特別委委員。社民党)
発言◆上原公子さん(前国立市長)「街に戦争がやってくる~国民保護計画に反対します~」
提起◆小田原紀雄さん、西川重則さん/各地域から、ほか
参加費500円/託児あります
【ビラの保存場所(表面のみ)】
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/images/519-02.pdf

画像 4月キャラバン後半は24日、丹波、但馬。25日は龍野、相生、赤穂、宍粟へ。丹波市では労組への要請のあと、解放同盟支部の方といっしょに、地域の大型ショッピングセンター前で署名活動。大型店と言っても通る人はまばらでしたが、ほとんどの人が署名に応じ10分余で約40筆と、都市部との「数と率」の違いにびっくり。時間がなくすぐに朝来、養父市へ。豊岡市までは時間がなく断念、お願いしていた団体などへお詫びの電話を入れ、Uターン。朝来市では、勤評闘争をたたかった、という退職教員の方(賛同人、署名も多く集めてもらっています)が待っておられ、高齢にもかかわらず軽乗用車を運転して先導してもらい、恐縮しました。

 25日は、たつの市からスタート、4市職労、教会などを訪問しました。宍粟市でも賛同人の方と合流、市職労へ同行してもらいました。役所内や役所を訪ねてきた人にも顔見知りが多く、「頼むで」と声をかけられたり。9条改悪反対の集まりを今月末に立ち上げるとのこと。やはり、地域での運動が大切、と痛感しました。
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 2日間で8市町職労、3教会、2団体を訪問しました。即決で「憲法問題は、大事。やります」「とりくむ方向で執行委員会にはかりましょう」と言われた団体、労組もあり、「広い、県北、県西」を走りつづけた、疲れ甲斐がありました。9月、2月、4月と3度のキャラバンでようやく県内の大半の地域を回ることができましたが、丹波、但馬の北部、西播北部が一部残りました。

















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